<第4章 自己尊厳>

[4-7] 久美子の2冊目の本

前の記事「[4-6]彼氏は夫似」から続く→

「ママ、クミね、今ウツの体験談を書いてるんだ。今度はウツの本を出そうと思う。ママ、ちょっと書きはじめだけどクミの原稿見て」―― そんな電話がある日あった。

彼女の原稿は漫画だった。
10ページほど書き進んで、これからどう話を展開していったらいいか迷っていると言った。

「クミね、ウツで悩んでる人たちに自分の体験を本にして元気になってもらいたいんだ。だから久美もそのために元気になるよ」 久美子は、私の前でそうきっぱりと言った。
「うん、そうしよう。早く良くなろうね。がんばろうね」

そんな娘の前向きの気持ちが嬉しかった。
大丈夫だ、この調子なら久美子は大丈夫だ。
久しぶりに明るい気持ちになれた。


娘の1冊目の本は、私が全面的にサポートした。
まだ彼女は当時中学2年生の子どもだったから、それは当然だと思っていた。

でももう久美子は22歳になっていた。
今はアルバイトをしながら彼と暮らしている。もう子どもではなかった。

「今度は自分で全部やってごらん。もう久美は大人だもの。自分一人の力で頑張ってごらん。」
久美子は少し不安気な顔をした。
「大丈夫だよ、書けるよ。漫画の間にエッセーなんかの文をはさんで、このままどんどん書き進めてみたらいいよ。また書けたら見せて」

「う~ん、そうだよねぇ」
「久美の2冊目の本、ママ楽しみにしているからね」
「あぁ~」 なんだか頼りない返事をした。


それから久美子に会うたびに、私は久美にこう聞いた。
「原稿は進んでる?」
「うぅ~、まぁ~、そこそこ」
あまりはかどっていないことが分かった。

「気長に書けばいいよ、久美なら絶対大丈夫」
私の目には、久美子は一見健康そうに見えた。

→次の記事「[4-8]大丈夫だよ」へ続く ■■ページ制作中■■ 近日アップの予定です

<第4章 自己尊厳>

[4-6] 彼氏は夫似

前の記事「[4-5]娘のウツ病」から続く→

ある日、久美子から電話があり、いま付き合っている彼をぜひ私に紹介したいと言う。

娘から紹介された彼は、理詰めで話す話し方などが、別れた夫にそっくりだった…
「ママ、パパには絶対内緒だよ。いまクミね、彼のアパートで一緒に暮らしてるんだ」 久美子が言った。

「えぇ~そうなのぅ」 ちよっと驚いた。でももう娘も子どもではない。
「じゃ、上野のマンションはどうしたの?」 マンションはあの裁判の後、すぐに娘の名義に書き換えられていた。

「お風呂に入るときだけ夜帰る。パパにばれるとヤバいからそのままだよ。絶対パパに内緒だよ。彼と暮らしていることは言わないでよ」 そう私に念を押した。「彼のアパートにはお風呂がないから」
「あら、そうなの…」

久美子の部屋のすぐ近くに、彼のアパートがあると娘が言った。
彼とは専門学校で知り合ったらしい。
いま彼は、就職はせずバイトをして暮らしていて、将来は漫画家になりたいそうだ。


すると、久美子の彼氏の若い男性が、こんなことを話しはじめた。
「僕は以前、ウツになったことがあります」―― 私の顔を見つめ、背筋を伸ばして言った。

「えぇ…」
「で、久美子さんを見ていて、やはり彼女もウツだと僕は思ったんです。ですからすぐに彼女に病院に行くように説得しました。そして診断の結果、彼女は軽いウツだと診断されました」

「そうだったの、あなたが久美子に検査するように説得したの」
「はい、毎日彼女を見ていて、僕には分かりました。自分がウツだったことがあるから、よく分かるんです。彼女は元気なときと、落ち込むときを繰り返しています。今日はハイの良い状態のときです」

「えぇ、そうだと思うわ…」
その話し方やしぐさまでもが滝本によく似ていると、私は感心してしまった。

→次の記事「[4-7]久美子の2冊目の本」へ続く


<第4章 自己尊厳>

[4-5] 娘のウツ病

前の記事「[4-4]メルマガ」から続く→

あの裁判は、何もかも私にとって衝撃的だった。彼の行為は許せないと思い続けていた。

裁判の一件から、私の心は元夫に対する憎悪で、増々いっぱいに膨れ上がっていた。 
その彼に対するどうしようもない怒りを、心の底奥深くに無理やり押し込み、そして見ないようにふたをした。


娘の久美子には、私から連絡することはしなかった。
父親の価値観のほうが彼女にとって居心地が良いのなら、それはそれで仕方がないと思った。
私から口出しするのはもうやめようと思った。

娘が今どうしているのか気にはなった。
でも私は、娘に関してもうすべてを父親に任せておくのが良いのだと感じていた。


そんなある日突然、1年ぶりだろうか、久美子から電話があった――
久しぶりに聞く娘の声は、なぜか暗かった。

「あぁ…、久美だけど」
ちょうど、登校拒否をして自分の部屋に閉じこもっていたあのころの娘の声だった。
その重さが気になった。

「久美?あなた、元気にしてたの?」
「まぁ…、なんとかやってる」
「就職は、どうしたの?」 私は彼女が専門学校を卒業し、その後のことは何も知らなかった。

「あぁ、久美、いま酒屋でバイトして暮らしている」
「えぇーっ、あなたが酒屋さんで? じゃどこにも就職はしなかったの?」
「あぁそうだよ、今は家の近くの酒屋でバイト」
「そう… で、元気だったぁ?」
「あぁ…まぁまぁね。最近重たいビールケースなんか毎日運んでいるから、すっかり腕に力こぶが付いた」
「へぇ、あなたがビールケースを一人で運ぶの?」
「あぁ…」

そして彼女は、次に思いがけないことを私に告げた。
「あのぅ、久美いま、ウツなんだけど…」

言っている意味がとっさに理解できなかった。
「えぇ、なに、ウッって?」
「だから、久美いまウツになって、病院で薬もらって飲んでる」
「あのぅ、ウッって、久美、あのウツ病のこと? あなたウツ病になっちゃったの?」
「あぁ…」
「嘘でしょう…どうしてよ? どうして、そんなことになっちゃったの? いったい、いつから?」 信じられなかった。娘が私の知らない間にウツ病になっていたなんて、信じられなかった。

「そうねぇ3、4カ月前くらいからかな」
「……」
私は何と言っていいか分からなかった。
「ママ、驚いた? じゃ」
久美子はそう言って電話をガチャと切った。


私は混乱した。久美子は自分がウツだと言った。
いま病院に行って薬を飲んでいると言った。

私には、ウツの病気がどういうものかはよく分からない。
たぶん人によって、病状はさまざまなのかもしれない。
初期のころの、さほどたいしたことのない症状もあるだろうし、どうにもならない重症のウツ病もある…

久美子は自分でバイトをして生活をしていると言った。ビールケースも一人で運ぶと言う。
本当に重い状態なら、外に出ることもできないはずだ。ましてや働くなんてできないのではないか…

でも娘はちゃんと働いていると言った。
そうだ、たぶん彼女はウツだと自分では言っているけど、それは初期の軽いウツで心配するほどのことではないのかもしれない…

そうだ、そうだ、きっとそうなのだ。
――私はそうやって、自分の中からわき上がる不安を納得させようとした。


その電話があってから、私は知人からウツにも良いお茶があると聞き、久美子のところにせっせとそのお茶を送った。

電話をきっかけに、洗剤や食品や手作りの佃煮などを、宅急便で彼女のところに送るようになった。
久美子は、私の送るそんな日常品を喜んで受け取ってくれた。

そんなことがあってから、また娘との関係が修復されたのだ――

→次の記事「[4-6]彼氏は夫似」へ続く

<第4章 自己尊厳>

[4-4] メルマガ

前の記事「[4-3]とまどいながら」から続く→

以下は、「対話ノート」をはじめて数年のころに、書き記された一文――


あなたはそのままでベストなのです。
人の意見に惑わされたとき、ベストの状態が崩れてしまいます。
自分の中の真理を生きてください。

人はそれぞれの立場・環境・学びによって、自分にとっての真理や、人生で実行することが異なります――

ある人は、誰よりも誰よりも自分自身に厳しくあることを学ぶ必要があり、その目的のために今この世にいる人は、「自分に厳しくあれ」と周りの人々にも説くでしょう。

また別のある人は、「他人に自分を捧げること」を学ぶ必要があり、それを真理として皆に説くでしょう。 

でも、たとえどんなに有名な人の言葉であろうと、その人の言葉が自分の魂の中に響いてこなければ、それはあなたの真理ではありません。

自分の魂の叫びを信じて良いのですよ。
惑わされないでください。

まず、自分の魂が何を一番必要としているか考えてみてください。

そう、「自分を愛する」こと――
誰よりも誰よりも自分を愛することが、必要なのですよ。
それを学ぶことが、あなたの今の人生の大きな目的の一つなのです。

いま、あなたと同じ真理を必要としている人が、この世の中に多すぎるほどいるのです。

「自分を愛すること」は、何ものにも替えがたい、人間としての“基本の基本”です。

それが土台になり、次があります。
それが満たされることで、初めて人々のために、自分をとりあえず脇に置いて、真に人々のために尽くすことができるのです。

まず自分自身を愛し、自分自身が救われなければならない人たちが、この世に大勢いるのです。
その自分の真理を、ためらわず生きてください

 (1998年5月2日 洋子の対話ノートより)



――山と積まれたノートを再度見直すことになったのは、家に遊びに来た友人に何気なくこの「対話ノート」の話をしたのがきっかけだった。

彼女は、このノートは押入れに仕舞い込んでいてはダメだと、私を諭した。
これらのメッセージをみんなと分かち合うべきだと、熱心に私に説いた。


友人に背中を押される形で、私は2003年の夏から『大きなわたしと小さな私』というタイトルでメルマガを発行することになった。

ふだん“自分”として意識している、ちっぽけな自我としての私が「小さな私」―― そして、ノートに向かったときに胸の奥深くからわき上がってくる、叡智に満ちた広大な意識のことを「大きなわたし」と呼ぶようにした。



メルマガの文章をパソコンに打ち込むために、以前に書きつづったノートを開く――

私はノートを再度、自分ではなく他人の目線になって読み返えしてみた。
そんな視点で読み返していくうちに、人間の“自己”というものの素晴らしさを見いだす感じがした。

この、日常的に“自分”だと感じている私――人生の出来事に翻弄され、感情にのみ込まれ、頭で考え、自らの無力さに悩み迷い苦しんでいる自我としての「小さな私」は――、実はどんなときでも、どこにいても、常にもう一人の自分である「大きなわたし」と、離れることなく無条件に一体なのだと確信させられた。

それが明らかな事実として、私の目の前に示されていた。
なぜなら、ノートに書き出されている問も答えも、もとから全部自分の意識の内にあり、自問自答したものなのだから…


今まで“自分”だと思っていたコンプレックスだらけの私は、決してその部分だけが“本当の私”そのものではないのだ。

人間は本来持っている能力の10%程度しか使っていないと、よく言われている。
本当の私とは、もっと深くて大きい存在なのだ。
頭脳では気づいていないことがあっても、壮大な観点からは、あらゆるすべてに気づいている存在なのだ。

薄々とだが、“本当の自分”というものが、分かりはじめかけてきた…
その理解は、自己否定と葛藤の日々を送り続けてきた私にとって、少しずつ生きる自信につながっていった。

自分というものへの私の見方を、対話ノートは少しずつ変えてくれた。
自分の中に、こんな観点や考えがあるなんて、以前の私は想像すらしたことがなかった。

私は本気で「自分を愛そう」と決めた。
こんな自分でも愛しても良いのだと、やっと気づきはじめたのだ―― 

→次の記事「[4-5]娘のウツ病」へ続く

<第4章 自己尊厳>

[4-3] とまどいながら

前の記事「[4-2]自問自答」から続く→

「対話ノート」をつづるようになって、最初の数年間は、私は自分で書いた言葉を今ほど評価していなかった気がする。

なぜなら、文章はあくまでも自分の言葉なのだ。
“自己否定”が強かった当時の私は、自分がつづった言葉であるがゆえ、たとえそれが内側の深くからこみ上がってくる“叡智”の思いであったとしても、そのようにはまだ評価できなかった。

ノートに言葉を書いても書きっぱなしにして、読み返すことも少なくなっていった。
よほどのことがない限り、ノートを読み返すことをしなかった。


でもあの日、春の日差しの中ベランダで初めてつづった「自分を愛しなさい」という文章―― それはいつも気になっていた。

私はその文に、しばらくして「自己尊厳」というタイトルを付けた。
「自己尊厳」というタイトルを付けたときから、私は自分を愛そうと決めた。
そうして数年が過ぎていった。


静まり返った部屋の中で、ノートの上での自問自答は、私にとって“日々の生活の中の一部”となっていた。
それは、静謐で心地良く、とても豊かな時間だった。

自問自答のノートからの気づきは、私をどんどん楽にして、視野を広げてくれた。
わき上がる「胸の中の深い思い」は、色々なことを私に教えてくれた。
とはいえ、図式としては、“この自分がこの自分に教えていた”ことになるのだが…


「対話ノート」を書いているとき、私の意識は頭にはない。
深い胸の中にある――

そのような意識でノートにつづっているときは、自分の手で書き出される言葉が、とても自然でよく知っているような内容に思える。
私自身が深くそう思いながら書いているのだから、当然だ。

でも、そのボーっと広がった状態から戻って、後で自分が書いた言葉をあらためて見直してみるときには――、
また日常の制限されたエゴである《小さな私》の意識状態になっている。
その自分にとっては、自分の書いたものに「へぇ~、そうかぁ」と感心してしまう。


しかしながらそのころの私は、まだ自分の書いたものや行動に、しっかりとした自信が持てないでいた。

ましてや、個人的にひっそり書いたその文章が、他の人にとって何か意味があるなどとは考えもしない。
自分の日記のようなものに、誰も興味を持たないはずだ――


それでも私は、何かあるたびに、あるいは日常にわいたそのときの思いや気持ちを、ことあるごとにノートにつづった。
迷ったとき、落ち込んだとき、行き詰ったとき、ノートの上で自分と対話した。
ノートに書くだけで、スッキリと気持ちが落ち着いた。

自問自答の中から、インスピレーションやイマジネーションとしてわき上がってくる自分の深い思いをノートの上に書くことは、私の日々の密かな楽しみだった。
書くことがとても心地よかった。

だからノートは100冊以上もたまっている。

→次の記事「[4-4]メルマガ」へ続

滝本さん プロフィール

滝本洋子

Photo: 2018年10月「グッドストック東京ライブ」より
 
―1970年代初め、フォーク歌手・中村洋子として活動。

 東京生まれ。渋谷のライブハウス ジァン・ジァンや各地のコンサートなどでライブ活動をする。ミッキーカーチス作詞作曲「風船」(クラウンパナムレコード)でメジャーデビュー。荒木一郎作詞作曲「あなたのいない夜」(CBSソニーレコード)その他などでもレコードを発売。
 TBSテレビドラマ「赤い靴」主題歌(岩谷時子作詞、三沢郷作曲)、TBSテレビワイドショー「3時にあいましょう」エンデングテーマソング「午後のささやき」(阿久悠作詞、戸倉俊一作曲)なども歌う。
 ギンザナイトナイトなどのテレビ番組に多数出演。坂本九が歌う「独り暮らし」(東芝レコード)の作詞なども手がける。

 著書に『きんたろうあめ』(三五館)、『あなたのまんまで素敵』(宙出版)、大人の童話『ジュンと帽子とぬいぐるみ』(ゴマブックス)など。

 近年は、魂の声を墨文字で描く我流の書「我書アート」を考案し、ワークショップショップを各地で主催。多くの人々の気付きのサポートを行っている。墨で描くオリジナルのコンシャスアートを個展や雑誌などで発表。

 メールマガジン、滝本洋子の「大きなわたしと小さな私」を、2003年から現在も配信中。



滝本洋子ホームページ(自分を愛するお手伝いサイト)
我書アートホームページ (滝本洋子創設ワークショップサイト)
Yoko Takimoto Conscious Art(英語版動画)
前向きに生きる会ホームページ(自死遺族のためのサイト)


※滝本久美子著書「私、たたかう中学生」(ロングセラー出版、1996年発売)重版される。
 アメリカからの帰国子女である著者は、登校拒否を続けながら日本の学校教育の理不尽さとおかしさを中学生の視点から綴り、当時14歳の書いた本としてマスコミなどで話題になる。
 朝日新聞中学生ウイークリーに1年間滝本久美子のエッセイ掲載。アメリカ・カリフォルニア日本語放送テレビ番組でも、2日間にわたり紹介された。

もくじ
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